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†世俗の支配者と魂の支配者 [読み物]

 ところで人間の究極的な目的は幸福にあり、幸福は神を見ること、神を享受することにある。国家とは、「同一の法と同一の統治の下に善き生活へと向かう人々」の集団である。この国家に集いあう民衆の究極の目的は、たんに世俗の国家において「徳にしたがって生きることではなく、有徳な生活を通して[彼岸において]神の享受へと到達することである」。
 この神の享受へと導くことは、世俗の国家の王の任務ではない。「人間は神の享受という目的を人間的な徳だけでは達成することができず、神の恵みによらなければならない」からである。だからこの役割は地上の王ではなく、聖職者に委ねられる。魂の救済については、王は聖職者にしたがわなければならない。王の任務は民衆の善き生活という目的が実現されるようにすること、そして「民衆の善き生活をそれが天上の浄福へと到達するように、管理すること」である。
 だから王の任務は三つある。すなわち「一つは統治する民衆のために善き生活を確立すること、二つは、確立したものを維持すること、そして三つは維持してきたものを一層の完成へと推進させること」である。

中山元『正義論の名著』ちくま新書2011
トマス・アクィナス『神学大全』――天上の浄福を準備するのが支配者の正義
よりp.059
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