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美しい首都、東京 [選挙]

都会は、すばらしい、議会です。都会は、美しい、議会です。ボス、政治は、すばらしい、政治です。


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[黒ハート]素直な気持ち[クローバー][ほっとした顔][クローバー]

タグ:選挙 政治
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保守性と非保守性 [読み物]

 進歩的であると考えられる大部分の運動が個人的自由にたいする侵害をさらに進めようと説いている時代に、自由を大切にする人たちはこれに反対するために精力を費やす傾向がある。この点で、かれらは変化にたいして多くの場合、習慣的に抵抗する人たちと同じ立場に立っていることを見いだす。当面の政治問題において、かれらには保守政党を支持する以外に通常、選択の余地がない。しかしわたくしが明らかにしようとしてきた立場は、しばしば「保守的(conservative)」と説明されることがあるとしても、その立場は伝統的にこの名称をつけられてきたものとはまったく異なるものである。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

自由の擁護者と真の保守主義者とを、それぞれの異なった理想を等しく脅かす動きにたいして、共同で反対させている状態から生じる混同は危険である。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

真の保守主義は激しい変化に反対する・・・・・・態度である。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

変化にたいして多くの場合、習慣的に抵抗する
激しい変化
正当で、おそらく必然的な、またたしかに広範にみられる態度
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

社会主義が起こるまで、その反対者は自由主義であった。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

 この三つの主義の相対的な位置について一般的に示される姿は、三者の真の関係をはっきりさせるよりも、むしろ曖昧にする。たいてい一直線上における異なる位置であらわされ、社会主義者は左、保守主義者は右、自由主義者は中間のどこかに位置する。これほど誤解を招くものはない。もし図式を望むならば、それらを三角形に配置し、保守主義者が一角を占め、社会主義者が第二番目の角に向い、自由主義者が第三番目の角に向うように組立てるのがいっそう適切である。しかし社会主義者は長いあいだより強く引っぱることができたので、保守主義者は自由主義的方向よりも社会主義的方向に従う傾向があったし、また急進派の宣伝によって尊敬すべきものとされた考え方を適時取りいれてきた。社会主義と妥協し、その考え方を横取りしてきたのは一様に保守主義者であった。自分自身の目的をもたない中道(the Middle Way)の主唱者である保守主義者は両極端のあいだのどこかに真理があるはずであるとの信念に従ってきた。その結果、保守主義者はいつのときもいずれの方向にせよ、極端な動きを示したほうへ自分たちの位置を移してきたのである。
[『全集Ⅰ‐7』195頁]
<傍点部を、サイズを大きくし更に太字に改めました>

保守主義者は一般にその時代の偏見を単に穏やかにかつ温和にした立場を取るにすぎないが、今日の自由主義者は大部分の保守主義者が社会主義者と分かち合う基本的な概念の一部にたいして、いっそう積極的に反対しなければならない。
[『全集Ⅰ‐7』194‐195頁]

言語、法律、道徳、慣習等の自生的に成長した制度の意味に理解を示したのであって、自由主義者はそこから利益を得たといってよい
自由な成長にたいする保守主義者の賛美は一般に過去についてのみである
設計されざる変化を歓迎する勇気
自由主義の立場は勇気と確信にもとづき、どのような結果が生じるかを予想できなくても、変化の方向をその進むにまかせる態度に基礎をおいている。
[『全集Ⅰ‐7』197頁]

将来を見るにあたって、保守主義者には自生的な調整力に対する信頼が欠けている。自由主義者にはこの信頼があって、適応がどのように成し遂げられるのかを知らなくとも、不安なしに変化を受け入れるのである。とくに経済の分野において市場の自己調整力が特定の事例において、どのように働くかを誰も予言できないとしても、それが新しい状態にたいして必要な調整をどうにかしてもたらすであろう、と想定するのは自由主義的態度の一面をなすものである。人びとがしばしば市場を機能させることを好まない要因としては、需要と供給、輸出と輸入などのあいだに意図的な統制なしに、ある必要な均衡がどのようにもたらされているのだろうかを考えることができないということが、おそらくもっとも強いものであろう。
[『全集Ⅰ‐7』197頁]

 一般に保守主義者は自分たちが正しい目的とみなすもののためにもちいられるなら、強制又は恣意的権力におそらく反対をしないといってよいであろう。もし政府が立派な人間の手にゆだねられるならば厳格な規則によって抑制しすぎてはいけないとかれらは信じている。
[『全集Ⅰ‐7』198頁‐199頁]

本質的に日和見主義者であり、原則を欠いているため(『全集Ⅰ‐7』199頁)

道徳的理念にしても宗教的理念にしても、自由主義者にとっては強制の適切な対象とはならない。しかるに保守主義者と社会主義者はともにそのような限度を認めない。ときどき感じることであるが、社会主義とも保守主義とも違う自由主義のもっとも顕著な特質は、他人の保護領域を直接侵害しない行為の問題にかかわる道徳的信念は強制を正当化するものではないという見解である。このことはまた、悔い改めた社会主義者が新しい精神的な棲家を自由主義の囲いよりも保守主義の囲いのなかに求めやすいように見える理由を説明するものかもしれない。
[『全集Ⅰ‐7』200頁]

優秀な人物が
受けついできた基準と価値と地位とは保護されるべきであり、そしてその人たちは公共の問題についてほかの人よりも大きな影響力を持つべきである(『全集Ⅰ‐7』200頁)

保守主義者はある特定の確立した階層秩序を擁護する傾向があり、かれらが尊重する人びとの地位を当局に守らせようと望む。これにたいして、自由主義者はどんな確立された価値にたいする尊敬といえども、経済的な変化の力に対抗してそのような人物を守るために、特権、独占あるいは国家のいかなる強制力にも訴えることを是認しないと信じている。自由主義者は文化的・知的エリートが文明の発展において演じた重要な役割を十分に知っているが、エリートといえども他のすべての人と同様の規則の下で、自らの能力によってその地位を維持することを証明しなければならないと信じている。
[『全集Ⅰ‐7』200頁]

真の自由主義者は宗教と争わない。
保守主義者と違うところは、自分自身の神聖な信念がいかに深遠なものであろうと、他人にその信念を強制する資格をもつとは決して考えないことであり、そして自由主義者にとって聖なるものと俗なるものは異なる領分であり、混同されてはならないと考えたことである。
[『全集Ⅰ‐7』206頁]

 政府の統制が多すぎることにたいする保守主義者の反対が原則の問題でなく、政府の特定の目的に関係していることは経済の領域においてはっきりとわかる。かれらは産業の分野における集産主義的および指令主義的方法に通常反対する。そしてそこでは自由主義者は保守主義者のなかに友人を見いだすことがある。しかし同時に保守主義者はたいてい保護主義者であり、しばしば農業における社会主義的方法を支持してきた。実際、工業および商業において存在する制限はおもに社会主義的見解の結果ではあるが、農業における同じく重要な制限は保守主義者によってずっと以前に導入された。そして多くの保守主義の指導者たちは、自由企業の信用を落とす努力において社会主義者と競い合ってきたのである。
[『全集Ⅰ‐7』201頁‐202頁]

保守主義は新しい考えに反対する自らの明白な原則をもたない
理論を信用せず、経験によって証明されたもの以外については想像力を欠いているために、保守主義は思想の闘争に必要な武器を放棄している。思想のもつ長期にわたる力に根本的な信頼をおく自由主義と異なり、保守主義はある一定の時期に受けついだ思想の貯えによって拘束されている。そして議論の力を実際には信じていないため、一般に保守主義の最終的手段はあるすぐれた特質を自分勝手に僭称し、それをもとにして優秀な英知を主張するのである。
[『全集Ⅰ‐7』202頁]

 保守主義的態度のもっとも非難されるべき性質は、十分に実証された新しい知識を拒否する傾向があることであって、その理由はそれにともなって生じると思われる帰結の一部が気に入らないということなのである。
[『全集Ⅰ‐7』203頁]

保守主義の非啓蒙主義(『全集Ⅰ‐7』203頁)
既存の道徳的信念が誤りであるとわかった事実の過程に依存していることが実際に証明された場合に、その信念を守って事実の承認を拒否するのは道徳的とはいえないであろう。(『全集Ⅰ‐7』203頁)
生物進化論(『全集Ⅰ‐7』203頁)

 新しいものと変わったものにたいする保守主義者の不信に結びついているのは、国際主義にたいする保守主義者の敵意と耳ざわりな国家主義の傾向である。ここにかれらの思想の闘争における弱さのもう一つの原因がある。われわれの文明を変化させている思想はいかなる国境をも顧慮しないという事実を、保守主義者は変更することはできない。
[『全集Ⅰ‐7』203頁]

この国家主義の偏向こそ、しばしば保守主義を集産主義へ橋渡しすることになる(『全集Ⅰ‐7』204頁)
・・・・・・「われわれの」産業や資源という用語で考えることは、これらの国民的資産が国益に向けられるべきだとする要求からほんの少し隔たっているにすぎない(『全集Ⅰ‐7』204頁)
人が目新しいものを嫌い、自分自身のやり方をすぐれていると思えば思うほど、人は他人を「教化」することを自分の使命と考える傾向がある。(『全集Ⅰ‐7』204頁)


楠茂樹 楠美佐子『ハイエク 「保守」との訣別』中央公論新社
第10章 ハイエク社会哲学の保守性と非保守性
ハイエク『自由の条件』 追論「なぜわたくしは保守主義者ではないのか」

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)

  • 作者: 楠 茂樹
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/04/09
  • メディア: 単行本



†世俗の支配者と魂の支配者 [読み物]

 ところで人間の究極的な目的は幸福にあり、幸福は神を見ること、神を享受することにある。国家とは、「同一の法と同一の統治の下に善き生活へと向かう人々」の集団である。この国家に集いあう民衆の究極の目的は、たんに世俗の国家において「徳にしたがって生きることではなく、有徳な生活を通して[彼岸において]神の享受へと到達することである」。
 この神の享受へと導くことは、世俗の国家の王の任務ではない。「人間は神の享受という目的を人間的な徳だけでは達成することができず、神の恵みによらなければならない」からである。だからこの役割は地上の王ではなく、聖職者に委ねられる。魂の救済については、王は聖職者にしたがわなければならない。王の任務は民衆の善き生活という目的が実現されるようにすること、そして「民衆の善き生活をそれが天上の浄福へと到達するように、管理すること」である。
 だから王の任務は三つある。すなわち「一つは統治する民衆のために善き生活を確立すること、二つは、確立したものを維持すること、そして三つは維持してきたものを一層の完成へと推進させること」である。

中山元『正義論の名著』ちくま新書2011
トマス・アクィナス『神学大全』――天上の浄福を準備するのが支配者の正義
よりp.059
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