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パレート最適 [言葉の定義に拘り過ぎ]

 ベンサムからすれば、人々が政府の権威に服するのは、政府に服従することから得られる功利が、それに反抗することによって得られるであろう功利よりも優越しているからであり、またそのかぎりである。そうであるならば、政府としては、できるだけ正確に国民の欲求を計測し、その増大をめざすことで正統性の基盤を強めることができるであろう。こういった功利主義は、J.S.ミルやシジウィックによって理論的に洗練され、さらには新古典派経済学を支える根本的な発想となる。なかでも、

パレート最適(資源の使い方をどのように変えても、他の者の効用を下げずにだれかの効用を高めることができない、という条件の満たされた状態)

の原理を中心にすえて展開した厚生経済学が、功利主義の原理を実際の経済政策・社会政策に反映させるために大きな役割を果たしてきた。

第1部 第5章 国家と権力 101頁
『政治学』(初版)有斐閣2003
 だが、原理としては単純明快な功利主義も、それが実際に政策を導く原理として適用される段階になるといくつかの疑問が発生する。何をどれだけ幸福と感じるのかは人によって異なるにもかかわらず、それを単純に総和できるとみなしてよいのか。全体の効用さえ増大すれば(たとえば国内総生産<GDP>の増加)、政治共同体のメンバー間の分配が著しく不平等であっても、それは不問にしてよいのか。功利主義はつまるところ、結果や帰結だけを問題とするものであるが、それにいたる過程や手続きに著しい不正が行われても、結果さえよければすべて不問にされるのか。
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