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無知のヴェール [言葉の定義に拘り過ぎ]

 このような原初的な状態において、人々が前記の原理のもとで公正に選択することができるように、ロールズが採用したのが、無知のヴェールという装置である。この無知のヴェールとは、選択するにあたって当事者は目の前にヴェールが掛けられていて、ある事柄をあらかじめ知ることができないということである。しかしこの無知のヴェールには、知ることができないという消極的な側面と、それでも知っているという積極的な側面がある。まず知ることができないというのは、来るべき社会において自分がどのような「社会的な地位、階級もしくは社会的な身分」を占めるようになるかを知ることはできないということである。特権的な富裕層の一人になるのか、極貧者になるのか、あらかじめ知ることができない。
 第二に、生まれつきの才能や資産、運命、知力、体力などについても知ることができない。天才に生まれるのか、身体に障害のあるものとして生まれるのかを知ることができないのである。
 第三に、自分の合理的な人生計画についても知ることができず、どのような生活を好むのか、悲観的な人間なのか、楽観的な人間なのかも知ることができない。
 第四に、その社会に特有の状況を知ることができず、経済的な状況も、政治的な状況も知ることができない。その社会が文明化されたものか、どのような世代に属しているのか、第一世代なのか、社会が形成されてから長い年月がたった世代に生まれるのかを知ることができない。
 これらの無知の条件の消極的な側面のもとでマキシミン原理を想定すると、来るべき社会でその人はもっとも不利な身分を占めるようになると想定せざるをえない。そのために選択可能な他の体制と比較すると、最悪な条件が相対的に好ましいものを選択せざるをえないである
 しかし社会の具体的なありかたについて無知であるとしても、選択を下すためには、一般的な原理や状況については「知っている」必要がある。これが無知のヴェールの積極的な側面である。第一に当事者は、自分も他のすべての参加者、前記の正義の状況のもとに置かれていることを知っているし、その状況がどのような意味をもつかも知っている。また来るべき社会の詳細は知らないが、人間社会全般についての知識があり、政治的な事柄や経済的な理論の原理を知っている。そしてこの選択に影響する「あらゆる一般的な事実も知っている」のである。こうした一般的な知識に基づいてロールズが提示する社会的な原理のうちから、自分にもっとも有利な原理を選択することが求められるのである。

原文ママ
ロールズ『正義論』――公正としての正義より
前掲書 中山元『正義論の名著』ちくま新書2011
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